こんにちは!
クロスロードインターン生のまえてぃーです。
今回は前回に引き続き旅行中に行きたいダークツーリズム3選(アジア編②)です。
“ダークツーリズム”とは、戦争や紛争、事故などの人災、また、地震や噴火などの自然災害などの悲惨な出来事に見舞われた跡地を訪ねることです。
そこで、犠牲になった人々を思ったり、被害の大きさや人類の過ちの大きさを感じることで、自分自身の生き方や価値観を見直すきっかけになるということで、現在人気の観光の仕方となっています。
まえてぃーは歴史に興味があったこともあり、行く先々で悲しみの歴史に触れる機会がありました。
“旅行中にそんな場所へ行くとテンションが下がる”
“そんな場所へ行く勇気がない”
“意識高いとか思われたくない”
そう思う人もいるかもしれません。
でも今、あえてその場所へ行く人が増えていることをご存知ですか?
1人の人間である私たち。
そしてその集合体である人類。
その人類が歩んだ歴史の中で、繰り返したくない、でも知っておきたい、感じてお
きたい悲しみの遺産。
比較的行きやすい、そんなダークツーリズム(アジア編②)をお届けします。
それでは参りましょう!!
目次
今回ご紹介したい場所はコチラ。
ベトナム戦争証跡博物館です!!
ベトナムは長年“独立”をかけて戦った歴史を持っています。
それを“ベトナム戦争”と呼びます。
そして、単に一国の独立をかけた戦争ではなく、このベトナム戦争は、私たちの今に欠かせないSNSの可能性を見出した出来事でもあります。
そんなベトナム戦争について詳しく知ることができる「ベトナム戦争証跡博物館」。
どうぞ最後までお付き合いください。
第二次世界大戦まで、ベトナムはフランスの植民地でした。
「だからベトナムはフランスパンが美味しいのか~」と気づいたあなた、勘がいいです。
しかし、大戦中には日本軍がフランスに勝利、日本の統治下としました。
が、日本の敗戦により、再びフランスがベトナムを植民地にしようと動き始めます。
それに対し、ベトナムは「独立」を掲げ戦います。
これがインドシナ戦争(1946年~54年)です。
当初優位に立っていたフランスでしたが、ベトナム軍の徹底した抵抗に勝つことは出来ず、1954年、和平交渉が行われフランスはベトナムから撤退します。
しかし、代わって介入してきた国があります。
それが「アメリカ」です。
1960年代、時代は冷戦中。資本主義を掲げていたアメリカと、社会主義を掲げていたソ連が対立。
フランスに勝利した後、アメリカとしてはソ連が掲げる社会主義の国が、ユーラシア大陸で増えてしまうと面白くなかったので何とかして阻止したかった。
南ベトナムに拠点を置いた「アメリカ」と北から完全独立を目指す「ベトナム政府と国民」との戦争をベトナム戦争といいます。
この戦争、1964年~1975年と実に10年もの間続きます。
“どうして自分の国のことを自分たちで決められないんだろう”
博物館には戦争の資料や実際に使われた爆弾や戦車が展示してあり、その規模を肌で感じることが出来ます。
戦争博物館なんて正直どこにでもある…。
そう思う人は多いかもしれません。
使われた武器、亡くなった人の遺品、平和を願う声…そのようなものが展示されてるんでしょ?って思う方もいらっしゃると思います。
もちろんそれもあります。
しかし。
この博物館は他の博物館とはちょっと違います。
コチラをご覧ください。
1つ1つの写真が額縁に飾られていて、それはまるで「写真展」のよう。
そう、これこそが命を懸けてベトナム戦争を世界に伝えたジャーナリスト達の功績の数々なのです。
今でこそ私たちは、さまざまなメディアに触れることができ、「戦争」と聞くと罪もない人々が亡くなる悲惨な状況をイメージすることができますが、それまでは軍から流れてきた情報を伝えるだけだった報道機関。
つまり、「戦争報道」というものは、自国が自国に対して行うものが多く、国民の士気を上げるため、または下げないために利用されるものでした。
“情報は、左右できたのです”
しかし、情報技術の発達や国際化に伴い、自国はもちろん、他国のジャーナリスト達も戦争について報道することが出来るようになりました。
そこで彼らがとらえたのは戦争の“日常”。
いえ、“真実”といった方がいいのかもしれません。
その戦争がもたらしている残酷ともいえる日常の風景を、私たちは初めて知ることになりました。
むごい。
悲惨。
これが現実??
頭では分かってはいるものの、リアルなシーンに頭が追いつかない。
アメリカとしてはベトナム戦争は共産主義との「正義を掲げる戦い」でした。
開戦時、アメリカ国民の戦争への意識は賛成が多数を占めていました。
しかし、各ジャーナリスト達から送られてくる写真や映像。
次々と送られてくる戦争の現実に、アメリカ本国の新聞社やテレビ局は戸惑います。
アメリカは正義のために戦っていると信じていたから。
正義とは、正しいものが「悪」を倒すこと。
でもそこに写っているのは「悪」なんかじゃなかった。
攻撃を受けた子どもが道端で死んでいる姿。
お父さんを殺さないでと懇願する女の子の姿。
女の子たちが武器を取り、独立を目指し戦う姿。
殺されるかもしれない恐怖と共に子どもを抱きしめる母親の姿。
枯葉剤の使用で一瞬にして枯れた大地となった荒野。
そして、農村を燃やし、家々を焼き払うアメリカ兵の姿。
「戦争の日常」の数々をジャーナリスト達は伝えました。
ジャーナリスト達が撮影した映像や写真が、世界やアメリカ国内で報道されるようになると、それまで戦争に賛成していたアメリカ世論が反対に変わっていきます。
最初は「こんなことをアメリカがするはずない!」といった反発もあったようですが、徐々に「アメリカは正義のために戦っている」という自国の在り方に国民が疑問を持ち出したのです。
そして、国内・国外問わず反戦運動(アメリカ撤退運動)が広がっていきました。
カナダ・オーストラリア・デンマーク・中国・ブエノスアイレス・メキシコ・ハバナ・ドイツ・オーストリア・フィンランド・フランスなど実に多くの国がアメリカにベトナムから手を引くように反戦運動を起こしたのです。
もちろん日本でも。
戦争に翻弄されるのは、これまでクローズアップされなかったごく普通に暮らしている人々であるということを、ジャーナリストたちは私たちに伝え、人々は平和への行動を起こしました。
その結果、アメリカの当時の大統領ニクソンは和平交渉を始め1973年アメリカ軍が完全撤退、1975年南ベトナムのサイゴンが陥落し1976年南北が統一され「ベトナム社会主義共和国」が成立しました。
インドシナ戦争から含めると約30年もの間、ベトナムは独立と自由のために戦い続けたのです。
実はこのベトナム戦争証跡博物館は、日本ととても縁が深い場所でもあります。
ベトナム戦争に参加していた日本人ジャーナリストが多数の写真を寄贈したこともあり、ここには日本人ジャーナリストの写真や日本語表記の説明が常設されています。
そしてこの展示には日本のカメラ企業「CANON」や「Nikon」も参加しています。
ベトナム戦争でジャーナリスト達が出会い、感じたことは、このようなことでした。
この博物館では、戦争中から戦争後までを私たちと同じ目線で見ることが出来ます。
きっと今の私たちのSNSのあり方と変わらないでしょう。
ただ勝った・負けたを報道するのではない戦争の日常。
そこには私たちと同じように笑顔のステキな人たちがいました。
ジャーナリスト達は今現在も様々な戦地や危険地域で取材をしています。
そして命を落とすこともあります。
「そんな危険な場所に行くなんて自業自得だ」
「写真を撮る暇があったら助けてやれ」
衝撃的な写真が掲載される度に「報道」とはどうあるべきかの議論は起こります。
でも、「知ることが無かったら?」
私たちが同じ目にあっても誰も気づいてくれなかったら?
東日本大震災の時、まえてぃーはフランスにいました。
その時、ブランドのシャネルがブランドのロゴを全部日の丸に変えていました。
ベルサイユ宮殿では日本語での暖かいメッセージが添えられていました。
お土産屋さんではまえてぃーが日本人だと知ると肩を叩いて励ましてくれました。
発信してくれる人がいるから知ることができる。
知ることが出来るから行動することができる。
知ってくれる人がいるから生まれる絆や未来がある。
旅をしながら写真を撮る人もいると思います。
そしてそれをSNSにのせて発信する人もいると思います。
キレイな景色。
美味しかったご飯。
予期せぬハプニング。
異なる人々との出会いや交流。
どの一瞬もあなたにとってかけがえのない一瞬。
そしてその一瞬が、また誰かの人生にを豊かにする。
カメラマンが撮影し、記者が記事にし、出版社が新聞を出しテレビ局が放送し私たちに伝える。インターネットを使えばこの一連の流れを今私たちは1人で行うことが出来ます。
でもその前に、このジャーナリストたちの魂のこもった写真に触れてみませんか?
目を覆いたくなる写真の中に、明日への希望がきっと見つかる。
あなたの写真が“変わる”このベトナム戦争証跡博物館。
ぜひお越しください!!