ダイスケのターニンングポイント - フィリピン留学・セブ留学|英語学校 - CROSSxROAD
2019.03.13

ダイスケのターニンングポイント

こんにちは。

女子4人部屋の天井についている扇風機を掃除したら、女子4人から感謝され、それ以来2週間ほど浮き足立っているボランティアスタッフのダイスケ34歳です。

 

スタッフブログとして週1度ブログを書かせてもらってますが、今回は何故か過去の事を長々と書いてしましました。超個人的な話なので、読んでくださる皆さんにはなんのメリットもありません。なので、暇を持て余してしょうがない方のみ、読んでいただく事をお勧めします。

 

挫折

小学校1年生の後半からサッカー中心の人生が始まりました。大学までエスカレータ式の中学に受験で受かり、まぁまぁ良い感じのサッカー人生だったと思いますが、高校3年生のとき、サッカー部の後輩にも歯が立たないのに、プロになんかなれるわけがないと勝手に悟り、勝手に諦め、夢を失い、それ以降自分で自分を塞ぎ込んで行きました。

 

W杯に出場するつもりだったダイスケ少年

誰もいない場所に行きたい

20歳の終わりに生まれて初めて一人で海外に行くのですが、そのきっかけは希望に満ちたものではありませんでした。当時、友達が一人もいない上に、人との付き合いを面倒に感じていた自分は、とにかく自分の過去や今を知っている人が一人もいない場所で、ゼロから生きたいという考えに行き着きました。そのために「生まれ育った東京を出よう」というのが先ず思った事でした。

 

当時アルバイトをしていた引っ越し屋さんを辞めるにあたって、ペアを組んでいた先輩にそれを話したところ、「じゃあ海外行けばいいじゃん。そしたらお前の事知ってるやつなんて誰もいねぇよ」と言われ、妙に納得し、どうせならと、海外に逃げる事に決めました。

 

この時、僕と先輩は一緒に現場を回るペアというだけで、トラックの中でも特に会話が弾む事もなければ、仲がいいというわけでもありませんでした。

 

ターニングポイント

数日後、様々なトラブルのせいで現場が長引き、遅くなったので、先輩とご飯を食べて帰る事になりました。先輩からしたら、僕と飯を食いたいというよりは、1秒でも早くビールを飲みたかったんだと思います。

 

その先輩は、見た目も口もとにかく柄が悪かったのですが、お酒が大好きで、仲間を何よりも大切にしていたので、毎晩遅くまで仲間と飲み歩き、毎朝二日酔いで出勤してくるような人でした。そんな人なので、現場が遅くなったせいとは言え、話が盛り上がらない僕と飲むのは不本意だったと思いますが、翌日も早いし、今日のところはサクッと飯を食って、サクッと飲んで帰ろうという感じだったのだと思います。

 

先輩はビールを、まだお酒を飲みなれない僕はレモンサワーを飲みながら、なんとなしに面倒だった現場と物分かりの悪いお客さんの愚痴を言いながら時間を過ごしていると、先輩の携帯電話が鳴りました。それは先輩の仲間からの電話で、おそらく「今なにしてんの?」という内容だったと思います。先輩的には特になにも意識していなかったと思いますが、先輩はこう答えました。

 

「今?仲間と飯食ってるよ」

 

「バイトと飯食ってるよ」、「職場のやつと飯食ってるよ」、僕のことには触れずに「飯食ってるよ」など、他にも言いようはあったように思いますが、この時先輩は「仲間と飯食ってるよ」と言いました。そこに深い意味など全くなかったのだと思いますが、「友達なんかいらない」と頑なになっていた僕の中で何かが溶けて、その場で泣き出しそうになってしまった事を鮮明に覚えています。これが僕の大きなターニングポイントになりました。

 

仲間

頑なになっていただけで、本当はめちゃくちゃ寂しくて、友達が欲しかった。でもそれを自分でも思わないようにしてたんですね。そんな時に大きな意味はないとは言え「仲間」と呼んでもらい、涙をこらえながら「やっぱり仲間っていいなぁ。。。」と思えたんです。

 

そこからおそらく自分の中で何かが変わったのでしょう。数は決して多くないものの、1人、2人と友達ができてきてしまい、知っている人が誰もいない海外に逃げ出すはずが、逃げ出す直前には複数回の送別会を開いてもらう自分がいました。

 

その時には自分が何で海外に行くのか意味がわからなくなっていましたね(笑)

みんなに言ってしまった手前、行かざるを得ないというのが本心だったと思います。

 

海外に逃げるはずが仲間ができしまってもはや行きたくない時のダイスケ

1人では何もできない

その後、タイに行くのですが、1人では信じられないほど何もできませんでした。ライターを買うだけで1時間かかり、ホテルを探すことも、人に道を尋ねることもできず、道で声をかけられた人にノコノコついていき、ボロボロの1ルームで心細い思いをしながらご飯も食べずに初めての海外での夜を過ごしました。

 

自分の過去や今を知っている人が一人もいない場所でゼロから生きたい。。。

 

極度の人見知りで、英語もタイ語も全くできない僕には、そんな甘いもんではありませんでした。

この後、大きなトラブルにも巻き込まれ、すぐにでも帰国を、、、と考えていた頃に、日本人宿と呼ばれる宿に行き着き、そこで様々な日本人の旅人さんにお話を聞いてもらったり、助けてもらったりしました。その時に、また1つ自分の中で気がつきます。

 

「ヒトの助けがないと僕は何もできない。」

 

それを認めることができて以来、人生が少しづつ楽しくなっていきました。

 

人生が楽しくなってきた若き日のダイスケ

僕の目指す僕

あれから長い時間が過ぎ、当時の自分には想像できなかったような経験をし、今は夢と希望に満ち溢れています。やりたい事はめちゃくちゃたくさんあるし、仲間もめちゃくちゃたくさんできました。全てがうまくいっているかといえばそんな事は全くありませんが、人生が楽しくとても幸せです。

 

罪のない恐竜に見事なジャンピングハイキックを決めるダイスケ

 

かなり充実していると自負していますが、満足はしていません、僕には僕の目指す僕があります。

僕にとって、その先輩と当時助けてもらった旅人さんたちは、一生かけて目指すべき存在です。

彼らは、「僕の人生を大きく変えてくれたヒト」だからです。

 

僕ごときが、「ヒトの人生を変える」なんておこがましいかもしれませんが、僕は、彼らのように、誰かの人生に良い影響を与えられるようなヒトになりたいといつも思っています。

 

「自分の人生が良くなるわけがない」と思っているヒトの気持ちが少しは分かる気がしているし、どんなヒトでも人生は楽しんで良いって思っているので、このクロスロードという場所で会う人も、それ以外の場所で自分がこれから会うヒトに対しても、微力ながら、人生を楽しむために少しでもお役に立てたら嬉しいです。

 

行ったすべての国でインドネシア人に間違えられていたダイスケ

 

 

という事で、僕と仲間になっていただけませんか?笑

 

最後まで読んでくださった方へ

大好きです。

 

ダイスケも木から落ちる

 

 

 

ダイスケ。

この記事をかいた人

クロスロードのなんでもおじさん。クロスロード愛が強すぎてボランティアスタッフとして居座っている。 書道家という一面も持ち、世界の路上で2万人を超える人たちに日本語でお名前を書き、プレゼントしてきた。好きな言葉は迷ったらGO。