こんにちは!まえてぃーです。
今回はクロスロードにゲストとして来てくれた「ジーコさん」のお話をしたいと思います!
ジーコさんはセブ島内の語学学校に留学中の留学生。
ひょんなことからクロスロードスタッフと繋がって、今回ゲストとしてお話をしてもらうこととなりました!
ジーコさんは見ての通りの爽やかスポーツマン!!
なんと日本体育大学卒業です。
そんなジーコさんは2年間、中東の国「ヨルダン」で学校の先生として働いていました。
それも、“青年海外協力隊”として。
青年海外協力隊とは、各国からの要請に基づき、その能力のある人材を派遣して、その国に尽力するという日本の国際協力事業の1つです。
ジーコさんはヨルダンで勤務していましたが、ヨルダンの子どもたちの学校で先生をしていたのではありません。
では誰の先生かって??
ヨルダンにあるパレスチナ難民キャンプに存在している、「パレスチナの子どもたち」のための学校で先生をしてました。
パレスチナ難民とは、西の隣国イスラエルが建国時、その場所にはパレスチナがありました。
そしてイスラエルとパレスチナの間で領土争いが戦争に発展。
その結果、戦争が起こり、イスラエルが勝利しました。
国を追われたパレスチナ人は、東方の隣国、ヨルダンに避難し「難民」となりました。
そして、彼らの居住地は“難民キャンプ”と呼ばれます。
キャンプとはいうものの、テントでキャンプのような生活をするのではなく、コンクリートの建物があり、お店があり、学校がある。
写真で見る難民キャンプの様子は、まるで一つの街のような印象を受けました。
パレスチナの子どもたちの学校で送る先生生活。
そこは日本とは全く違う設備・価値観がありました。
ラジオ体操をアラビア語で取り組んだこと。
夏は気温が40度を超えて屋外では活動できないこと。
だからこそ室内でできるゲームやけん玉などの工夫したこと。
組体操をグランドで取り組んだ際、ガラスなどが危ないから止めたほうがいいと言われたこと。
日本では当たり前にグランドが安全に整備されているからこそ、気づかなかったこと。
アメリカからの支援が無くなった時、突然先生が解雇され、授業をすることが難しくなったこと。
そんな中、全員でたすきを繋ぐリレーをしたこと。
みんなで画用紙を使って一つの大きいパレスチナ国旗を作ったこと。
そして“いつか帰る日が来ること”を祈ったこと。
どんな状況でも、「今あるもの」で何とかする。
何とかして子どもたちに授業をする。
それはもはや「授業」というものではなく、「希望を与える」、与え続ける時間だと感じました。
そして、与えていたつもりが、自分が「もらっていた」ということを感じたというジーコさん。
そんなジーコさんの表情は、とても穏やかで、未来を見つめていました。
日本とは考え方もやり方も、設備の整い具合も全く違う学校で働くということ。
自分の育った境遇・環境と全く違う子どもたちと共に生きるということ。
その子たちを支えるために、多国籍の同僚と試行錯誤しながら歩むということ。
きっと生半可な気持ちじゃ務まらないし、なにより仲間として認めてもらえないだろう。
でもジーコさんは、彼らと過ごす2年間で、
「はじめは外国人だったけど、いつの間にか外国人ではなくなっていた。
外国人と思っていた子どもたちが、日本の子どもたちと同じに見えた。」
と感じたそうです。
そのどれもがキラキラして見えたジーコさんとパレスチナの子ども達の時間。
ジーコさんとヨルダンの時間。
本当に貴重なお話、ありがとうございました!!!